地域医療・医療連携のために活動しております

沖縄宮古島医療史【追加】

 

友利正太郎(ともりしょうたろう)

大正8(1919)年11月2日久貝202番地(カテーラ)で、父金吉・母カネメガの二男三女の長男として出生

昭和12(1937)年県立宮古中等学校卒業(第五期生)

昭和17(1942)年九月国立平壊医学専門学校卒業(第十一期生)、久松出身の医者第1号として誕生。久松の人たちから大いに期待された。

昭和17(1942)年12月日本陸軍軍医に召集され、ソロモン第一四七兵站病院配置となる。

昭和18(1943)年1月パプアニューギニア・ブーゲンビル島に渡り太平洋戦争に従軍。

昭和20(1945)年3月29日同島にて戦死(享年27)。陸軍軍医大尉、正七位勲六等受ける。
宮古出身で平壌医専の卒業生には、中村医院の中村圭介医師(第六期生)、同仁医院の山内朝秀医師(第十期生)がいた。

昭和43年1月平壌医専第十一期同級生の浄財により、友利家の墓庭に墓擦が建立されるなど、生前級友たちから敬愛されていたことが窺がえる。

出典:在沖久松郷友会 創立50周年記念誌 『ひさまつ』  2012年9月

PAGETOP
Copyright © 一般社団法人 宮古地区医師会 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.